小学生の頃、私は学校一の問題児だった。よく先生からビンタをくらった。
ビンタをくらうたびに、
「痛くないぞ。もっと叩け」そんな思いを込めて先生をにらみつけてやった。
先生たちは個人的な感情から私を叩いた。私はなおさら反発した。
しかし一人だけ、本当に私のことを思って注意してくれる先生がいた。それが3,4年の時の担任、飯島先生である。
飯島先生は少し悲しげな顔をして、
「天空。自分がしたことがいいことか悪いことか、お前には分かっていると思うがどうだ?」
子供心にも飯島先生が自分のことを思ってくれているのが分かり、私はしゅんとなった。
が、しばらくすると、けろっと忘れてまた問題をおこしてしまうのだった。にもかかわらず、飯島先生はただの一度も声を荒げなかった。だから私は飯島先生だけには一切反抗しなかった。
小学校を卒業してから、私は折に触れて飯島先生のことを思い出した。
「汝が得るものは、汝が与えたものに等しい」
飯島先生はこの言葉が真実であることを私に教えてくれた恩人なのである。
ビンタをくらうたびに、
「痛くないぞ。もっと叩け」そんな思いを込めて先生をにらみつけてやった。
先生たちは個人的な感情から私を叩いた。私はなおさら反発した。
しかし一人だけ、本当に私のことを思って注意してくれる先生がいた。それが3,4年の時の担任、飯島先生である。
飯島先生は少し悲しげな顔をして、
「天空。自分がしたことがいいことか悪いことか、お前には分かっていると思うがどうだ?」
子供心にも飯島先生が自分のことを思ってくれているのが分かり、私はしゅんとなった。
が、しばらくすると、けろっと忘れてまた問題をおこしてしまうのだった。にもかかわらず、飯島先生はただの一度も声を荒げなかった。だから私は飯島先生だけには一切反抗しなかった。
小学校を卒業してから、私は折に触れて飯島先生のことを思い出した。
「汝が得るものは、汝が与えたものに等しい」
飯島先生はこの言葉が真実であることを私に教えてくれた恩人なのである。
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岐阜城見物を終えて、金華山のふもとの公園で休んでいたら、リヤカーを引いたおばあさんが通りかかった。リヤカーにはおもちゃが満載されていた。いまどきこんなおもちゃをどこから仕入れてくるんだ。見ていて悲しくなるくらい、どのおもちゃも古臭かった。一番新しいものでも、十年以上前のものだろう。以前おもちゃ屋をやっていて、その売れ残りなのかもしれない。岐阜城見物の観光客相手に商売をしているようだが、一日中売っていてもほとんど売れていないだろう。
石に引っかかったらしく、リヤカーが動かなくなった。私は椅子から立ち上がり、後ろから押してあげた。
振り返って私に気づくと、
「恐れ入ります」とおばあさんは頭を下げた。
そのまま家まで押して行ってあげるつもりだったが、
「もう結構です。毎日のことですから」と言って、おばあさんは断った。
たった一回押してあげたところで、何の助けにもならない。そう判断した私は押すのをやめた。
遠ざかって行くおばあさんの後姿を見送りながら、
「あのおばあさんは、きっとひどく貧乏で、でも不平不満を言うこともなく、自分なりに一生懸命に生きているんだ」と心の中で思った。
あなたにとってもっとも尊敬する商人は誰ですかと人に聞かれたら、私は真っ先にこのおばあさんを挙げる。
石に引っかかったらしく、リヤカーが動かなくなった。私は椅子から立ち上がり、後ろから押してあげた。
振り返って私に気づくと、
「恐れ入ります」とおばあさんは頭を下げた。
そのまま家まで押して行ってあげるつもりだったが、
「もう結構です。毎日のことですから」と言って、おばあさんは断った。
たった一回押してあげたところで、何の助けにもならない。そう判断した私は押すのをやめた。
遠ざかって行くおばあさんの後姿を見送りながら、
「あのおばあさんは、きっとひどく貧乏で、でも不平不満を言うこともなく、自分なりに一生懸命に生きているんだ」と心の中で思った。
あなたにとってもっとも尊敬する商人は誰ですかと人に聞かれたら、私は真っ先にこのおばあさんを挙げる。
二週間かけてイヤシロチ巡りをした時のことだ。
出雲大社を後にして、下道を走り続け、姫路の町に入ったのは、夜になってからだった。川原にテントを張ろうと考えていたが、小さい川ばかりでテントを張れるような河川敷がない。しかたがないので姫路城の裏の公園にテントを張った。疲れていたのですぐ寝入ったが、話し声で目を覚ました。二人連れのおまわりさんだ。
やばいなー、追い出されるかなーと思いながらやり取りを聞いていると、ナンバープレートを見たらしく、
「おい、東京からだよ。かわいそうだから見逃そう」というのが聞こえた。
立ち去る二人の足音を耳で追いかけながら、「ありがとうございます」と心の中で手を合わせた。
神様は時として、おまわりさんの姿をして現れる。そう言えば、横浜駅の駅前で私に違反切符を切った神様も、おまわりさんの姿をしていた。
出雲大社を後にして、下道を走り続け、姫路の町に入ったのは、夜になってからだった。川原にテントを張ろうと考えていたが、小さい川ばかりでテントを張れるような河川敷がない。しかたがないので姫路城の裏の公園にテントを張った。疲れていたのですぐ寝入ったが、話し声で目を覚ました。二人連れのおまわりさんだ。
やばいなー、追い出されるかなーと思いながらやり取りを聞いていると、ナンバープレートを見たらしく、
「おい、東京からだよ。かわいそうだから見逃そう」というのが聞こえた。
立ち去る二人の足音を耳で追いかけながら、「ありがとうございます」と心の中で手を合わせた。
神様は時として、おまわりさんの姿をして現れる。そう言えば、横浜駅の駅前で私に違反切符を切った神様も、おまわりさんの姿をしていた。
苔の美しさで有名な北陸のある神社に行った時のことだ。参拝を終えて、参道を戻っていると、三十五、六の女のひとが、参道をほうきではいていた。
遠くから見ても、そのひとがとても優しいひとであるのがわかった。観音様みたいなひとだなと思ったとたん、私の心は癒されていた。
ひとはとことん優しくなれると、ただそれだけで他のひとを癒すことができる。そのことを教えられた気がした。
遠くから見ても、そのひとがとても優しいひとであるのがわかった。観音様みたいなひとだなと思ったとたん、私の心は癒されていた。
ひとはとことん優しくなれると、ただそれだけで他のひとを癒すことができる。そのことを教えられた気がした。
昨年の五月、位山山頂で土地のおじいさんに声をかけられた。御皇城山(おみじんやま)の遥拝所と最高波動の岩はそのおじいさんに教えてもらった。
見るからに何かの宗教の信者と思われる人たちのわきを通り過ぎた後、
「あの人たちは仏教系だな」とおじいさんが言った。
「どうしてですか?」
「暗いから。仏教系は暗くて重い。神道系は明るくて軽い」
言われてみればそのとうりだ。
おじいさんと私はいっしょに山を下り始めた。山なれた歩き方だ。私のためにペースを落としていると言うが、ついていくのが精一杯だった。
天の岩戸まで来た時、「ちょっと待ってて」と言うなり、おじいさんはザックからのみと金槌を取り出した。そうして丸太と縄で造られた柵を乗り越え、岩を欠き始めた。
位山の歴史的背景を考えると、ここの天の岩戸が本物である可能性が高い。
「いくらなんでもやばいんじゃないですか」そう注意したが、
「大丈夫だよ。もう何度もやってる」
欠き取った石を私に見せ、
「持ってくか?」と聞いた。
ほしいと思ったが、断った。本物の天の岩戸であろうがなかろうが、位山の巨石は地球人類にとって世界遺産だ。そこから欠いた石をもらうわけにはいかない。
おじいさんはいくら聞いても、名前を教えてくれなかった。しかたがないので便宜上、位山の田力男命と呼んでいる。
見るからに何かの宗教の信者と思われる人たちのわきを通り過ぎた後、
「あの人たちは仏教系だな」とおじいさんが言った。
「どうしてですか?」
「暗いから。仏教系は暗くて重い。神道系は明るくて軽い」
言われてみればそのとうりだ。
おじいさんと私はいっしょに山を下り始めた。山なれた歩き方だ。私のためにペースを落としていると言うが、ついていくのが精一杯だった。
天の岩戸まで来た時、「ちょっと待ってて」と言うなり、おじいさんはザックからのみと金槌を取り出した。そうして丸太と縄で造られた柵を乗り越え、岩を欠き始めた。
位山の歴史的背景を考えると、ここの天の岩戸が本物である可能性が高い。
「いくらなんでもやばいんじゃないですか」そう注意したが、
「大丈夫だよ。もう何度もやってる」
欠き取った石を私に見せ、
「持ってくか?」と聞いた。
ほしいと思ったが、断った。本物の天の岩戸であろうがなかろうが、位山の巨石は地球人類にとって世界遺産だ。そこから欠いた石をもらうわけにはいかない。
おじいさんはいくら聞いても、名前を教えてくれなかった。しかたがないので便宜上、位山の田力男命と呼んでいる。
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